yoralyの日記 from UK

【現在はnoteに引っ越しました】日本で生まれ育ち、高校生でアメリカ留学を経た現イギリス大学生がいろいろ発信します。

【6】近いのに遠かった、

みなさんこんにちは、最近ポピーの葉に霧吹きをかけていたら不意に別の葉の茎を折ってしまってショックだったyoralyです。

 

数日前に種まきしたホウセンカの一株が芽を出しかけています。力強い雰囲気があります。先が楽しみ。

 

今回は前座短めで本題に入ります。内容が少し悲しめなのをご承知おきください。

 

 

 

 

初めての身近な訃報

最近、近しい親族の訃報を受けました。亡くなったのは母方の祖父で、こういう事態は人生初めてだったので不思議な感覚を覚えました。理由はわかりませんが私含めみんなその祖父のことを「おず」と呼んでいたのでおず=祖父として書いていきます。

 

そして今回は、おずの逝去を通して「人を思い出すこと」について考えた内容をつづります。

 

自分の考えの伝えやすさを考えた結果、語り口調になっています。

 

悲しくなかった訃報

とある朝早く、まだ布団の中に入っているときに母が電話で何か話していて目が覚めて。話している雰囲気から、まさかおずが亡くなったのかと考えた(少し前からおずが弱っていることは知らされていた)。考えたけれども、眠かったのでまた目を閉じた。

 

朝、本格的に目を覚ましてもあまり心は痛まなかった。ただおずには一年以上会えていなかったためここ2,3カ月の内に会いたかったが、コロナウイルスの影響で、入院していたおずとの面会は禁じられていて結局会えなかったことが心残りだった。

 

身近な人が亡くなったのに、心の底から悲しむことがなかった。

 

悲しくなるものだと思っていたのに。(←先入観)

 

だから悲しくない理由を考察した。

 

 

 

おずは長い間パーキンソン病(徐々に体が動かせなくなる病)を患っていて、それが間接的に亡くなる要因になったそうです。ちなみに直接的要因は誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)です。

 

私が物心ついたときにはおずは既に体が不自由になっていて、テンポよく会話することもできなくなってきていた。だから一年に一度は家族で母方の祖父母の元へ里帰りをしていたけど、幼かった私はそんなおずと積極的にコミュニケーションをとることはなかった。私がteenagerになって少し思考が発達し、血縁あるものとしておずと関わろうと思った時には、彼はほとんどちゃんとした文章をしゃべれなくなっていて、明快な意思疎通を図ることは私には難しかった。

 

このようにおずの病と、私の半ば相互方向のコミュニケーションを諦めたような態度が重なった結果、私は彼と思い出を全然紡げなかった。唯一覚えているのは、幼少期、夕食で確かシチューを食べているときに私が何か行儀の悪いことをしたのか、隣にいたおずが私の手をゆっくりとつねったことだけである。痛かった。本当にそれだけしか覚えていない。

 

近年は私が語り掛けても(たとえおずは聞こえていて、返事をしたくても体が動かず声が出せないため)反応がなく、まともなインタラクションをした記憶はない。

 

寂しいくらいに、たった一つしか、関わってもらったことがなかった。いや、それ一つしか記憶にない。

 

だからこれが、悲しくない理由なんだと思った。

 

おずは私にとって、

思い出の数で言えば、道端で落とし物を拾ってくれた見知らぬ人と同じ。

 

だから特におずに対する思い入れがなかった。

好きでも嫌いでもなく、故におずへの関心もあまりなかった。

 

親戚ではあったけど、むしろ他人に近いような存在。

身近な人であってほしくても、身近に感じようがなかった存在。

 

だから悲しくなかった。

 

 

 

そして悲しかった訃報

 

 

それなりの時間同じ場所を共有して、彼の姿を何度もみたけど。

関わりがなければおずがどんな人か、何が好きで嫌いで、どんな考え方をして、どんな癖を持っているのか、なーーーんにもわからない。

 

でもそう気づいたとき、おずについて何も知ることなく彼を失ってしまったことが、寂しく悲しく思えた。虚しさを覚えた。おずの死を、初めて心から苦しく感じた。

 

ところで結構自然とポジティブシンキングをする私は、そこまで負の感情を引きずらない。だからおずの死がずっとおらの心を苦しめることはないので、そこまで過剰な心労にはならない。

 

 

 

今回理解した大切なことは、外見上反応していないように見えるからといって、その人がぼーっとしていると決めつけてはならないこと(頭では反応しようとしていて何かしらの方法で関われるのかもしれない)。それから人は誰かを覚える時、そして思い出すとき、その誰かと関わった時の場面を基にする。少なくとも私はそうであるということ。(関わりのない人のことは覚えることも思い出すこともできない)

私が人を思い浮かべるときは、いつもその人の絵なり写真なり映像が思い浮かぶ。

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アメリカでの写真。この内容に少し刺さる気がする

アイドルとか有名人の場合は、彼らの映像を観ることで疑似的に彼らに関わっているといえるのかもしれません。

 

盲目の方の場合は映像ではなく音声や感覚を再現して思い出したりするのでしょうか。定かではないです。

 

 

終わりに

この記事は、主に自分の考えを整理して深めるために書きました。加えて、オズに対しての懺悔もある気がします。その過程で、読んでくださる皆様に少しでも新しい視点や発見があれば幸いです。

 

いつになく暗めの記事だと思います。ですが、それは私の誠心誠意の気持ちでもって綴れている証拠です。だからそう感じていただければ嬉しくもあります。沈みがあるからこそ楽しさや嬉しさ、幸せが輝く。そう思って今後も様々なことについてブログを書いていこうと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

 

読んでいただき、どうもありがとうございました。

 

 

 

おずへ、ゆっくりお休みください。

 

 

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