yoralyの日記 from UK

【現在はnoteに引っ越しました】日本で生まれ育ち、高校生でアメリカ留学を経た現イギリス大学生がいろいろ発信します。

【13】普通、普通。。。?

皆さんこんにちは、yoralyであります。

 

私はバイト二つ掛け持ちしていて、一つは非接客、もう一つは接客業なのですが、今週は接客業のバイトが五日間入っていてくたびれてしまいました。(非接客の方は週三日で固定です。)日曜に記事を書くことになったいい訳です。記事を書く時も割と気合が要るのでどうも気楽にできるゲームとか娯楽に走ってしまいますね。そんなところに人間らしさを感じながら、でも人間らしさに甘えず克己せんととも思いつつ、記事を書いてゆきます。

 

上でバイトがたくさん入ったと嘆いていますが社会人の方々の苦労に比べれば多分へのかっぱですから、しかとその分記事書いたり本読んだり学業に勤しみたく思いまする。

 

しかし接客業というものは緊張が常に伴うものですね。私のところはお客様の満足が最優先というモットーの職場ですので、利益をもたらしてくださったお客様にどこまで来店体験を満足していただくか。これを意識しながら働いておるわけです。そうしますと、やはりいつも以上に気は遣うしてきぱき動くしで心身ともに疲れるのも至極当然です。

 

最近は心からご来店に感謝しておもてなしをするように意識しています。私が働けるのも、働いている最中に暇しないのもお客様がお店を利用してくれるから。そう考えると結構自然にお客様に感謝の念がわきますね。

あと、バイトあった→疲れる、とばかりこのブログではお伝え申し上げておりますが、接客業の方は特に自分にとって良い社会経験になっており充実したときが過ごせています。具体的には、どのような話し方がこのお客様にとって心地よいかとか、手が空いたときに気づきにくいが汚れている場所を清掃したりとか、観察して自分の頭で考えて、その場で自分なりの工夫とサービスを実行できる、簡単にクリエイティブなtry and errorができる、このパフォーマンス自由度の高さが私にあっているのでしょう。中学や高校にいるときはルールや縛りが多くて、かつ時間的拘束が長かったので、考えつくことがあっても実行に移しづらかったのが実態でした。(そこは教育の課題ではないでしょうか。私の行動力不足でもありますけど。)今後も精進して、横暴なお客様を除き、どんなお客様にも満足して頂ける接客サービスを目指していきます。が、将来の夢は接客業ではないのであしからず。

 

 

 

今回は留学関連ではなく、考え、意見です。考えの記事は抽象的だしわかりやすく説明するのに構成時間がかかる一方、留学の方はストーリーとか写真とか、確かなネタがあるので書きやすいです。でもずっと留学に甘えるわけにもいきません。考えは人に伝えようと整理することでさらに深まりますし、曖昧な論理が明確化されたりします。なので難しい分書き起こす価値も高いです。

 

 

 

普通とは

しばらーく前の記事で(普通の定義があいまいですが、、、)みたいに普通という観念について触れたことがあるのを覚えていますでしょうか?覚えていて下さったあなたはすごい!いつも欠かさず読んでくださってありがたし。

 

「普通ラーメン食べるときはまずスープを少量舌の上で味わうやろ!」

「いや普通麺すするっしょ」

(私は前者。つけ麺の場合は後者。)

 

「普通府中行きの電車不通だったら沸々と頭にくるでしょ!」(苦笑いしてくだされば幸いです)

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若気の至り。こんな頃もあったなー。半年も前のことか、、、

 

普通ってなんやねん、って多くの人が一度は疑問に思ったことがあることだと思います。でも多分普通って曖昧だなーって感じで結論を出さずに放棄してるのではないでしょうか。

 

私も最近まで答えを出しかねていました。が、それらしい答えに一つ行きついたのでご紹介します。

 

デジタル大辞泉によると、普通とは、「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。etc...」とのことです。この定義だと、「ほんじゃあ『変わっている』って何やねん!」っていう人出てきそうです。まそれはさておき、私は変わっているとはどういう状態なのかを考えました。

 

変わっている、とは

 

自分の予想外の行動をとっていたり、予想外の状態であること。

 

です。

簡単に言えば、びっくりするような状態や行動のことを指すんではなかろうか、そう考えました。

 

例えば

例えば、世界には自分の口の中に子供達を住まわせて育てる魚がいます。(クロイシモチとか、何種類かの魚が行う子育て方法です。そこまで魚に詳しい訳じゃないのですが。)変わった魚だなーと思いませんか?この魚を知らない人は、そう思うはずです。

それはその魚の子育ての仕方が「予想外」だから。

 

なんかテンション上がるといきなりぱちぱちぺちぺちボディーパーカッションをし始める人がいたら変だとは思いませんか?(←私です)それはあなたがそういうことをする人間を予想(期待)していないからです。

 

こんな感じで、変わっていることは予想外のことであることだとすれば、普通とは予想内、つまりは「想定内のこと」である、と背理法みたいに言い換えることができます。(だいぶ広い意味での普通に限りますが)

 

みなさんも少し考えてみてください。「普通~は~だよね」みたいに言うときって皆さんが容易に想像できたり、想定できる状態ではないでしょうか。

私でいうならば、ラーメンを食べ始めるときに麺から食べようがスープから飲もうがどちらも想定内ですが、いきなり丼をひっくり返してラーメンを台無しにするふとどきものは完ぺきに予想外で、変わっている人ということができる気がします。先ほどの例に当てはめれば「普通ラーメンは食べるものだよね」という想定をしているわけですね。

 

食べ物の味の方が分かりやすいでしょうか。あの喫茶店のマカロン普通においしかったよっていうときは、そのマカロンの味はすでに知っている味(想定している味)と似ていておいしさを感じるものだった。

茶店のマカロンが変わった味であれば、知っている味を裏切る、想定外の味だった。そしてこの想定外はとてつもなくおいしい場合にも言えるかもしれません。今までのマカロンには全くなかった新しい方面のおいしさと甘さが織り込まれたマカロンみたいな。それも、予想外です。普通のものとは比べ物にならない(=普通ではない)ほどおいしいマカロンだった、という感想になります。

 

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祖父母の家で作ってもらったラーメン。チャーシューがめちゃうまうま。

In a nutshell,

今回の分かりにくい記事の内容を整理しますと、

 

変わっている=(自分にとって)予想外である

普通=特に変わっていない=予想内(想定内)である

 

となります。

 

普通が定義できないんだから変わっているも何もないやんって考えは私も以前は持ってましたが、この記事の考えに行きついたことで「普通」が意味するものは人それぞれの主観で全く違ってくる。が、多くの人が同じように想定できる共通範囲がある(人は殺さないとか)ので、それが社会全体での「普通」としてとらえられ、この共通範囲から外れた行動や状態は「変わっている」レッテルを貼られている(そして多少の蔑視を受けたり刑事的な裁きを受けたりする)、という認識を得ることができました。正直予想とか想定とかいう定義はあいまいではありますが、「普通」を捉える第一歩としては十分な前進になると思います。

そうやって哲学とかも進んできたのでしょうし。学びは蓄積です。過去からの蓄積。だから私も蓄えるのです。自分やほかの人の考えの深化のために。

 

編集後記

In a nutshell

まとめると (前も紹介してたら御免なさい)

 

今回は難解でした。伝えようと説明するのが精いっぱいでした。今回伝えたかったことはただシンプルに一つ、普通とか常識っていうのは自分の中にある予想を反映しただけのものなのかな、そう気づいたことです。だからそれ以上に考えが深まることはあまりなかったです。でも抽象内容の時はあまり多くを伝えようとすると宙に浮いた議論を収集しきれずに成層圏出て宇宙にいっちゃいそうなのでちょうどいい塩梅ではないでしょうか。

 

若干強引に理論展開しましたことをお詫びします。すべての反例に触れている記事の文字数的余裕がありませんでした。

あと「思います」って打ち込もうとすると、幾度となく「おみます」になって微妙に嫌でした。

 

あとあと抽象話は関連写真を載せづらいってことでまやかしのラーメン戦法です。

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家系。もち太麺と濃厚スープがようけ合うんや!

 

もっと外出して、日本各地や世界各地を体験したいです。そしたらもっと視野広がって考えも深まってブログで共有できるネタも増えます。そうやって生きている人もまあまあいるのでしょうけど。旅行したいなー。

 

 

 

というわけで、今回も読んでくださってありがとうございます。

 

よかったらちょくちょくコメントしてくださるとテンションアップしますので何卒お願いします。

 

 

 

それではご自愛ください。

 

 

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