yoralyの日記 from UK

【現在はnoteに引っ越しました】日本で生まれ育ち、高校生でアメリカ留学を経た現イギリス大学生がいろいろ発信します。

【21】Reading weekを振り返る ー大学へのモチベ―ションー

ご無沙汰しております、yoralyです。

みなさまお元気でしょうか。

いよいよyoralyという名前にも慣れました。何度も同じ状態になったりや言葉を使っていればそれに慣れていく、それが人の強みであり弱みでもありますよね。ブラックな労働環境に慣れてしまう(もしくはブラックと認識しなくなっていく)のも、異文化になじめるようになるのも、どちらも人間の適応能力によるものです。それはそうとして、あのGAFAの一つである某リンゴさんだって最初は企業名としては違和感あったと思いますが今はアップルで通ってますから要は名前も慣れだと思います。yoralyもしかり。拉麺愛男みたいなお名前の方がいても一緒に時間過ごしてれば何のその。多分。(拉麺君は聞き慣れない名前の例として提示しており、その名前が変と言っているわけではありません)だからわたしにとってのyoralyも慣れて真っ当でしょう。

 

今回は早めに本題へ。

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本題の前に博多とんこつで一休み。ねぎらーめんのねぎの量がとても嬉しい。

「準」徒然なるままに

ここ数日間に起きていたちょっとした苦悩を報告させていただきます。

 

最近も相変わらず学業が忙しいところなんでございますが、うーん、いまいちやはりモチベーションが上がりきらない。今四月頭までに提出の3000字の研究論文(Research Project)の長期課題(×2)に取り組んでいて、今月の13-21日はReading week(授業は全くなく、とりあえず論文とかを読んだりちょっとくらい一息つくための一週間)だったので今週は研究論文を大きく進めるチャンスでした。ですがまあ多少予測できるかもしれませんが結果は芳しくないです。

Reading weekの九日間の内、最初の三日間はフットサル(週一で継続したい)や友人との交流があってある程度勉強進まなくてもしょうがなかったけど、後の六日が問題でした。勉強は多分長くても一日2時間程度、質は良くない。他にちょっとスライドづくりやスマホのデータ移送とかしてたのとたくさんゲームしたりして本日の最終日までやってきました。

結果的にReadingとか学業が結構はかどらなかったわけですが、どの時間を勉強に宛てられたかなと振り返った時に、おそらく何もしていない時間が一番もったいなかったなーと思います。具体的にはSNSいじったり(すでに減らしてはいるが)、兄のゲームを観戦したりと、主にこの二つですかね。(全豪オープン母と観てたりもしましたが、これはこれでいいと思う。)SNSとか動画視聴っていうのはONとOFFの間(以後ONF)にあたると考えていて、この時間はおらにとっては「勉強やらなきゃいけないんだけどちょっと休みたくて、勉強を忘れない程度のリラックス」なんですが、言い換えれば曖昧な時間なのです。

ゲームとかで完全にOFFな時間を過ごせば少しは勉強もやらなきゃって焦りも出るんですが、このONFで長時間過ごしちゃうと何も学業的に有意義なことできてないのにまだ今日OFFしてないから遊んじゃおうッてなりかねないんです。ONFは机に向かっててもできるから、ONで為すべきことを頑張らずONFやってるだけでも机に向かっている記憶は残る。だから今日少しONで頑張ったんではという錯覚も起こっているかもしれない。たちが悪いですね。(当然おらのモチベーションの低さもたちが悪い)

 

そんなこんなでもっとやるべきことに集中して時間も確保して取り組みたい(特に渡英せずに友人なく一人きりで自分を学業に向かわせるのは楽ではないが)、とこのReading week中思ってきました。そして今日不意に一つの解が出ました。私には、時間制限が向いていそうです。というのも、どのくらいの時間やるのか決めずに勉強を始めるのは、(すぐに終わる課題ならそれでも乗り切れていたけど)膨大なプロセスと準備を必要とする研究論文をやるのには不向きだった。ただ大きな大きな壁を毎回見上げて、こんなでかい壁のぼんの大変だよーって思ってだらだら取り組んでばかりいました。でも、「この30分とりあえず集中して取り組むぞ!」って時間制限を設けてやったことでだいぶ勉強の質が上がりました。そもそも先生の助力をもとに研究を進める道筋は立ってはいたのでこの限られた時間で何を目標にすればいいか簡単に決められたのです。そしてこの30分を毎度小さい休憩をはさみながら、(集中が続くなら継続、延長して)繰り返して勉強を進めていく。このやり方を確立しました。まだプロトタイプなので実践を通して微調整していくつもりです。

私の先生も、哲学者のデカルトさんも言ってましたが、「困難は分割せよ」。ただ大きな目標におけるプロセスを分けて細かくゴールを設定するだけという風に理解してた言葉でしたが、時間的に分割することも有効なんですね。ちなみに時間を区切る案はチューターさんが教えてくださいました。ありがたし。つまり私はデカルトさんとチューターさんのアイデアを合体したということですね。いろいろな点をもっておき、必要に応じて点をつなげる。Connecting the dotsとはよくいったものです(スティージョブズさんのスピーチより)。

とりあえずこの打開案のおかげでもう少し前向きになれそうです。頑張りますよ。

 

なまじ最低限の学業だけでも忙しいにもかかわらず「挑戦は経験の基礎」というスタンスのもといろいろな取り組みに手を出しているので(学生団体で活動したり、オンラインサミットに参加したり、あとは友人といろいろな場所に赴くのもその一つともいえる。ちなみにサミットでは元フィンランド首相の方に質問したんですよ!ドキドキしたけど心躍りました。それに関する記事のネタも考えてます。よろしければ気長にお待ちくださいませ。)、余計に忙しくなっております。おかげで有難い経験を得ていますが、その代償として大変さも付きまとう。まあ手を広げるならそれだけの覚悟をもて、それだけのことですが。

 

学業へのモチベーションって?

先ほど学業へのモチベーションの低さに触れました。曖昧さを避けるためにあえて比呂い意味で書きましたが、訂正するなら、学業の中でモチベーションの上がらない課題がある、となります。学ぶことは好きです。学校の外中に関わず。人文地理の理論(例えばGeographical Imagination)が現実に関わっている事例を考えるとか。嫌なのは主に課題です。今回の論文は自分が面白いと思うテーマを軸にやるもので、内容的には自分が気になるテーマにしていて、実際に勉強しているとき楽しいことも割とあるのですが、ゴールまでの距離が遠すぎて、そして今までやったことのない膨大で厳格な課題への嫌悪感、食わず嫌いみたいなのが合わさってモチベーションが上がらない。一言で言えば面倒くさいということですわ。後になってこの課題がとってもためになったと思う日が来るとしても、今は面倒くさいし、この課題がやりたくてこのファウンデーションコースやってるんじゃないって感じです。(でもこの課題をやりきることはいい経験になることはわかっている)

 

少し話の焦点を広げて整理します。

私がファウンデーションコースに入ったのは、海外のハイレベルな大学に入るため。そのハイレベル大学に入りたいのは二つの大きな理由があります。

 

・発展性のある質の高い授業を通して幅広い事柄への知見と理解を広げるため

・多様な、志の高い力のある人と出会いつながるため

 

一つ目はわかりやすいでしょうか。発展性があるというのは現実社会に多様に応用できるくらいその分野の知識を学べる授業、教授、生徒の質である(自分の理解力のポテンシャルは∞と無謀にも信じている前提)という意味。

 

二つ目の方が今はまだ私にとっては重要です(今後変わるかもしれない)。大学を卒業するなり中退するなりした後、最大限社会に貢献しつつ自分の生計を立てていくには仕事を得る、もしくは創る必要があり、それを上手に達成するには人脈が不可欠だろうと思っています。それも幅広い人脈。人種とか性別に限らず専門分野とかそれまでの人生経験とか。(そして現実的にいうと何かしらの実力があって互いに協力し合える強みがある人)海外のハイレベル大学に行けば(特に留学生の割合の多い大学)その人脈をとても築きやすいのではないかと思っているのです。ただ大学内で、なまじ将来のビジネスのために仲良くなるとか関係を築くのは当然嫌なので、様々な出会いの機会を自ら作って(自分からクラスメイトに挨拶しまくるとか、、、ね)素直に自分が、ただ一人の人として一緒にいたい方とつながりを持っていくつもりです。今まで通り。

価値観とか、性格とか、その相性はまず友人として大事。そうやって築いた人との繋がりが(つながりに多少の強弱は当然あれど)仕事や、仕事外での社会貢献で活かせるかもしれない。これを多少なりとも期待しています。

 

しかし危惧しているのは、友人関係を仕事に持ち込んで気まずくなるかもというところですね。だからもしかしたら薄ーくつながっている同じ大学の卒業生の人と協力し合うことの方がいいのかも。

ビジネス関係なしにしても、広い人脈を持つのはとても有意義なことではないでしょうか。

世界の色々な場所に知り合いがいて、海外旅行するごとにその人たちと再会してなんでも語らいあって、私が生活している場所にも誰かが会いに来てくれたり、会う度にほぼ確実に新しい視野、点が自分の頭に生まれる。もしかしたら点と点がつながるかもしれない。人生がより豊かになる気がするんです。仕事方面であれプライベートであれその中間であれ(例えば講演活動とか?そんな日も来るなかな、、、)。

 

実際にその立場にならないと分からないこともあって当然ですよね。

でもこの、自然に生まれた(利害関係なしに生まれた)人との繋がりは、紆余曲折を引き起こすとしても大局的に見れば自分にプラスをもたらしてくれる。そんな確信があります。今までの私の人生、人さまから見れば短いでしょうが、そういう実感があります。

 

あ、あと自分が純粋な気持ちでつながっていても相手がそうとは限らないという視点も忘れてはいませんが、そこは時間重ねるうちにその真偽が分かるんじゃないかなーって思います。付き合いの長い古い友人の方が信頼できるというのはありますが。でも友人は信じたいものです。

 

(二つ目の説明めちゃ長くなりましたね)

 

話戻して

そんなこんなで上記の二つが私の、大学に行くモチベーションなので、膨大な課題に対してはモチベーションが特別上がらないことに多少は説得力が付いたのではないでしょうか。

そうはいっても課題やらないと大学行けないのでやるしかない、そんなありふれた鼓舞方法でもって本記事の本編を終わらせていただきます。

 

 

ちょこっと編集後記

今回の記事、本当は四季の振り返りをしようと思っていたんですが、案外その前章への思いがあふれてしまったので(ブロガーとしてはありがたいところか)それを本編にしました。四季の振り返りは次回にします。お待ちください。

ゲームをする時間をこれに変換すれば、もっと更新ペースを早められます。ゲームは究極大した経験をもたらしてくれるわけではありませんので、そこへのこだわりをなくせるといいですね。(でも物語系のゲームは心を揺さぶる。映画よりも没入感があったりして心がほぐれる、そして前書いた通り簡単に感情を上下させられる、捨てがたい)

 

今はやることがたくさんあって感謝すべき状態かつ忙しいですが、なんとか切り抜けます。多分明るい出口があります。私は割といつでもポジティブでござる。

 

 

なので

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久しぶりに私が作ったyoraly家特製の麻婆豆腐の調理前写真を貼っておきます。完成品撮り忘れた!

少し間の抜けたおらでも見て皆様も元気に日々を過ごしていきましょう。

 

今回も読んでくださり、どうもありがとうございました。

 

どうぞ今後もご自愛ください。