yoralyの日記 from UK

【現在はnoteに引っ越しました】日本で生まれ育ち、高校生でアメリカ留学を経た現イギリス大学生がいろいろ発信します。

【35】やはり、死は人を生かす

こんにちは!yoralyですます。

今回はとても心に訴えかけてくる2ちゃんねるのスレッドを動画にしたものを見つけたのでシェアさせてくださいの投稿です。短めです(のつもりで書いてたらいつも通りの長さになりました)。

 

まずその動画を紹介しますが正直私の感想と動画どっちを先に見るべきかはおらにもわかりません。素直な状態で見てみたい場合は先に動画を視聴されることをお勧めします。

(2チャンネルってときに治安が悪い印象とかありますがこれに関してはそういった雰囲気は無かったです。人の温かさと生き様がひしひしと伝わってくるものでした。動画内では後半ほんの一瞬そんなに褒められたものではない単語が映ってますことはご承知おきください。)

最後まで強く生きた方の話

www.youtube.com

このスレッドでは先があまり長くないという事実に直面した2チャンネルのいち利用者さん(VIPさん)がそれを報告するところから始まり、他の利用者さん達とやり取りしながら限られた時間を過ごしていく様子が見られます。実際のスレッドは見ておりませんが。

見てる途中からもうなんか涙が止まらなくて、見終わってしばらく経っても思い出してはまた涙があふれてくる、心に染み込んでくる内容でした。(もしかしたら私の感情移入が強すぎるだけかもしれなくて、読者のみなさんにはそんな響かなかいかもしれません。)

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ここで新しいルームメート紹介!左があまのはしだて、右が凸凹のぼこ。仲良し友人二人にそれぞれ名付け親になってもらいました。

何がそんなに泣ける?

うーん、やはり自分に迫る死を知ってから絶望するんじゃなくて、(延命措置も含めて)悲しさを抱えながらも残りの時間を健気に生き抜いているところでしょうか。楽しもうとしている、そして楽しそうである、それがとても微笑ましいことであるのに、そこには常に近い終わりが見え隠れしているという。この幸福感の中の静かな寂しさがたまらなく涙を誘うのだと思います。

確かにみんな実感できないだけで、余命は誰にでもありますし、我々はあまねくいつか逝去します。(まあ余談で死ぬまではぎりっぎり誰にも不老不死の可能性が残り続けるが)冷たく言うならそれがこの動画の方にとってはすごく明らかな形でしかも目の前に現れただけだということになります。でも、(余命を自覚したことの無い私が言えたことではないですが、)終わりが近いからこその原動力、吹っ切れ(社会的責任は負わなくていい、退職や学校中退をする勇気がでる)とかエネルギーが湧いてきて、残りの日々を、多分割と楽しく過ごせたんじゃないかなと、思っています。

自分にはどんな学びがあるか

人には期限が近くならないとやりたいことや仕事がなかなか進められない習性があるそうです(パーキンソンの法則の第一法則をご参照あれ)。

例えば

ゴールが見えてる-->焦燥感-->計画、やりたいことを行動に移せる

ゴールが見えない-->焦らない-->無計画、ゆったり生きてしまい、なかなか行動できない。

このゴールを物騒ながら死期に置き換えた場合も、割と同じことが言えるともいます。おまけに一般的には人生まだまだ先がある(はずだ)からやった方がいいとされること(大学卒業とか資格取得、貯金etc)をはさむ必要があるので、それらに重きを置く日々が続いてなかなか自分が望む生き方、生活を送れないことが多い。

つまりこの動画を見て、「余命宣告あろうとなかろうと、いつ人生が終わっちゃうかわからないんだから毎日全力で生きよう」って思うのは、難しいと思うのです。繰り返しですがそうしようと思っても、大学とか仕事とか家事とか、「人生の先を見据えた用事」達のせいで実行に移せない。

じゃあこの動画を見てどうするんだべ、と。今生きているおらたちは彼(彼女ってことはおそらくないと思う)から何を学ぶべきなのかと。そんなに真剣に考えなくてもっていう意見もあると思います。おっしゃる通りべつに必ず学ばなきゃいけないなんて決まりはありません。でもなにか心得ておくべきことがあると思うのです。そう思ってしばらく考えた結果出てきたのが。べつに新発見ではないと思うけど。ありきたりかもだけど。

毎日幸せを見つけながら生きること。

これかなーとおらは思います。大なり小なり、おらから言わせれば、おらの周りにはありがたいことに幸せが結構あります。日本に変えれば大好物のラーメンのお店がいくらでもありますし、自分でつるっっっっつるに磨いた木工作品はいつ触っても気持ちいいですし、布団にくるまりながら浴びる朝日はたまらなく温かいし。時には英語の劇で優秀賞取れたり、難関かもしれない大学に合格できたり、自分の好きな人達と遊んだ日々は常に胸が温かいし、この蜜柑は甘いし、ロンドンの道路整理のある男性の笑顔くしゃっとなっていいし、、、、、

いっくらでも私には幸せが見えます。ついでに悲しいことや辛いこともありますけど、その分幸せもたくさんあります。(過去記事でも熱弁したはず)

毎日に幸せを感じて過ごすこと。見過ごしてしまいそうな幸せをしっかり実感すること。それが自分の総合的な幸福感につながるだろうし、おそらく死ぬ間際、内省する暇があったら、当然未練はあるのだろうけど、でも人生振り返って、割と楽しく幸せに生きられたかなって思える。そんな気がする。

あ、でも無理に幸せだって思おうとするのは良くないかもしれません。人に言われた幸せを探すだけじゃなくて、いろいろな場所でいつもよりもう少し周りに目を向けてみて、思わずこころが温かくなるものを幸せと呼べばいいと思います。私の場合は小さくても綺麗な道端の花とか、人に道を譲った時の自己肯定感とか、そんな感じです。人それぞれでいいと思います。(でも他を傷つける形の幸福ではないことを祈ります)当たり前だと思っているものにも注意を向けてみると、案外それが幸せなことだったみたいなこともありますよね!

色々な方向に話が行きましたが、とにかく死ぬ間際のためとか、幸せな人間であるためというよりは、普通にそういう幸せ見つけたときって心がぽって温かくなって嬉しくなるので、そのために周りを見て幸せを探してみていただければと思います。より多くの方に同じ気持ちになってもらえたらなあというほぼ20歳(まだもう数か月)の意見でした。(こっぱずかしい内容なのかもしれない意識はありますが、私は割と平然とこういうのを書いたり友達に話をしちゃうタイプです。)

あとは

あとは皆様各々にも動画を観た感想とか思ったことがあると思います。なんか温かい気持ちが残ったら、その気持ちも大切にいたわってあげてください。

ちなみにはてなブログにログインせずともコメントができるようになっているはずなので、よろしければコメントもお待ちしています!

あと本投稿は私の結構原点的な投稿の続編みたいな感じにしました。こちらも読んでおくと私の信念のベースがより分かりやすくなるかもしれません。よろしければ。

それにしても割と書いてきましたね。じわじわながら積み重ねとはこういうものだ。

 

yoraly.hatenablog.com

 

というわけでここまで読んでくださった方に向けて最後によくわからないけど著者の写真をあげておこうと思います。(実はyoralyのプロフィール画像にもちっちゃく顔出てます)

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ファンデ時代からの友人とのお出掛け。疲れが噴出したのか、次の日に寝込むことになることをこの時のyoralyはまだ知らない。

 

ここまで読んでくださり、どうもありがとうございました。

今後もどうぞご自愛ください。